日月之和

神道、周易 見ると観る

ご挨拶

台湾で周易を勉強しています。  台湾で出会った老師は、易経は占いでもなく、学問でもない。人がどう行動し、生きていくかの指針である。生活に生かしてこそのものである」 「日本人は易の本当の精神を昇華し具現している。人々の振るまい、日本語の中のあらゆる処に易の精神が現れている。と言います。 私は、日本人の行動原点、易経と神道の共通する部分などを日常の中で見つけて行きたいと思っています。 周易と同じ基盤を持つ道教、そして神道。皆、つながりがあります。 人々が交流すれば文化も交流します。価値のある考え方をそれぞれが生活に取り入れていったものと思っています。 私自身、ものごとはなるべく単純に考えていきたい、そして表現もシンプルにと心がけております。 エニアグラムのタイプ5です。ウィングは4

易経とはなに?  

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易経って何が書いてあるの?
なんの役に立つのでしょう?
お経らしいし、御利益はあるのでしょうか?

疑問は尽きないのです。
最初に易経を勉強し始めたときに思いました。
なんのことかさっぱりわからんと。

それでも我慢して講義は聞いてましたよ。礼儀ですから。でも残念なことにわからないのです。
本も読んでみました。

読めませんでした。
いまだに読んでいて分かったようなふりをしてみるのですがやはりよく分からない。

最初の頃、色々調べていたら結局のところ、易経というものは何が書いてあるのか分からないものであるということが分かったのです。

だからこそ、解釈のための参考書があるのだと。
あの孔子様が十翼とよばれる参考書を書いてくださったのです。
ですからその参考書を読むことにより私達は易経を簡単に理解できるようになったのです。

だそうですが、私には分からない。難しい。

それなのに易は易しいから易というのだという。
もうなんだか分かりません。
どこが易しいのでしょうか。

どうやら、易経というのはこの世(宇宙)の仕組みが書いてあるらしい。
それを理解して人生を歩むことにより聖人に近づくらしい。
うまくいけば聖人になれるらしい。

この世の仕組みを理解すれば、未来を見通すことが出来るらしい。
この世には法則があり、人はその大いなる法則に従って生きていけば大概は、間違いはないらしい。


その法則は天にも、地上にも働いているらしい。
そして人もその法則に左右されているらしい。

それは道となって私達の足下にあるらしい。
いや、それどころか天にも地にも人にも道がある。

易経を勉強しなかったためにその道を踏み外すと再びその道に戻るためにはちょっとやっかいなことになるらしい。
道を踏み外さないための傾向と対策は易経一冊で完璧らしい。
でも、一生かかっても理解するのは大変らしい。
だから孔子様は、ベストセラー作家なのだね。
後世の人達は2500年も研究し続けているのだからね。

その一人に私もいるわけですよ、研究などとはいえません。読んでみているだけです。
昔の人が考えていたことに感心してみたり共感してみたり、、、
ただそれだけなのですが、
最近はちょっと面白い。
私も未来とはいわなくても明日のことぐらいは予想がつくといいなと思うのです。


category: 易経

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tag: 周易  易経 
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国の文化伝統を失うということ  

国


最近の国会の模様を見ていると、どっち向いて政治やってるの?といいたくなるのです。
日本という国のことを日本人のことを本当に考えてくれているのですか?

先日、易の年表を勉強の為に作りました。
易経は様々な宗教文化の芽生えの元となる人の信仰の形も伝えてくれますし、科学的な思考の発展も語っていてくれます。
やがては儒教、道教に発展するのですがその中で文化が花開きました。

しかし、中国は、自らの偉大な文化をあるとき放棄しました。
1949年に伝統文化、思想を否定する思想統制が始まりました。毛沢東は孔子を否定しました。
さらにその勢いは強くなり1966年にはかの文化大革命が決定され、横掃一切牛鬼蛇神のもと孔子、孟子、司馬光、朱熹は悪人とされ唾棄されたのです。あらゆる文化的工芸、礼儀、人としての教養が踏みにじられました。(易経で言えば山火賁から山地剥の感じでしょうか)
覚えている方もいらっしゃると思いますが学者、大学人などが下放という運動の元に地方に追いやられ過酷な労働で命をなくしました。中国のかつての皇族の子孫の方は日本やアメリカに逃れました。

私の知人も学校で教師がつかまり、教師であること知識人であることを攻められ乱暴されどこかに連れて行かれたという忘れられない記憶があるそうです。この知人はちゃんと教育を受けた人でしたが、人生で一度も筆で字を書くという経験がないそうです。
学校では書は教えられなかったということです。

このように毛沢東思想以外の思想はことごとくおとしめられたのです。もちろんあらゆる宗教は禁止されました。

その結果どうなったのでしょう。
今、日本のネットなどを見ると自らの民度を誇り、中国と比べる人がいます。
しかし中国人としてはどうしようもないのです。学ぶことは反日、ただひたすら勉強をし、自らを救ってくれるものはお金だけです。拝金主義といわれてもそれしかないのです。

やがて中国国内でもこのままではいけないという危機感が出てきたようです。
今世紀に入り、胡錦濤政権下において易経が復活しました。
北京大学において国際易学聯合会という研究会が2003年に出来ました。
2006年には孔子が復権します。そして新聞記事にもなりましたが習近平が2013年に山東省の孔子廟に参拝したのです。
北京オリンピックの開会式の論語の「友あり遠方より来たる また楽しからずや」は孔子復権を象徴していたと思います。

「開会式を見ていて孔子は禁止じゃなかったの?」 と驚かれた方も多かったと思います。

私の台湾の老師は、孔子復権の頃から中国に招かれて易経を教えています。
台湾は、文化大革命も何も関係ありませんでしたから台湾には易経がまだ残っているのです。日本も同じです。日本の場合は幸いにもここに書いたように前の政権を引き継ぐときに前政権の成果や知識を破棄することはありませんでした。

中国は、孔子の教えを再び教育に取り入れ道徳教育にも力を入れ始めました。中国の事ですからきっと腕力でやり遂げると思います。孔子学院を世界中に建てていますが本当にそれらが必要なのは中国国内です。
まだまだ道は遠いそうですが希望はあるそうです。美しい風景を取り戻してほしいものです。



問題は日本です。
今、日本の伝統は危機にさらされています。
日本の国の根幹に関わる天皇制にについに手がかかりました。

国の伝統、習わしはその国の風土、習慣が作り上げてきたものです。風土にあった暮らし方ルールが作られていくのです。
ですから風土が違う国のルールをもって、間違っていると言われることは違うのです。

戦後教育のせいか、西洋の哲学や宗教観、価値基準が一番優れていると思っている人も多いので、日本の伝統は間違っていると思いこむ人達もいるようですがこれは違います。
自分の先祖が営々と気づき上げてきた伝統、価値観を壊すということはどんな事かを中国を反面教師として学んでほしいと思うのです。

天皇の女系論争もそうです。
宗教的に男女差別の激しい西洋の慣習をもって日本の伝統を論じないでほしい。

男系が次ぐことを単純に男女差別と捉えるのは、西洋的価値観にとらわれているのではないでしょうか。

人はもともと違います。能力も違います。男女も考え方も行動も違います。違って何が悪いのでしょうか。
人々が違ってこそ役割分担が出来るのです。それに見合って社会も発展することが出来るのです。
易経には古い時代からのその道筋が見て取れます。男女が人々が力を合わせなければ生きていけない古代からの知恵があります。
それぞれがそれぞれの性質を持って努力し、役割を果たしていく道のりがそこには書かれています。
それらを単純に差別と捉えるのはあまりに短絡的すぎると思います。

天皇という祈りの存在をないがしろにし、平等という名の下に役割分担を放棄し、他者の努力の結果を我が物にしたいのであればそこに待っているものは亡国でしかありません。
それはもはや日本ではありません。今、ネットに民度民度といって日本人は民度が高いといってますがそれは何に根ざしていたのでしょうか?私達の目の前に模範を示してくれる方たちがいらしたからです。
天皇は儒教思想から見れば聖人であることを求められつづけた存在です。このような皇室のあり方は他国の王族とは違います。

今、私達はとても重要なところにいます。
自分たちの国をどう守るかということです。
これからも平和で安心できる日本が持続するためにはどうすべきか考えてほしいと切に願っています。

文頭の國という字ですが、周りを囲ったところを矛で守っています。
国とはそうして守られてきたものであったということもしっかり認識する必要もありますね。

category: 日本の霊性

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tag: 日本  伝統  儒教  易経 
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犬

台湾から帰ってから周易のホームページと勉強のまとめとにかかりっきりでした。
あまりに大量の情報でしたのでいまだにまとめきれておりません。

台湾は巫女型の私には少々大変で一人で行って複数で帰って来るということを何年も繰り返しております。
もちろん見えない方たちですよ。帰ってきたら神社に行って無事の報告をします。そこで皆様とはお別れです。
最近は靖国神社のお守りを持っていくことにしています。
鳩のお守りに乗って直接日本に帰っていただくために持っていくのですよ。
今もあの戦争は彼らの中では現在形で続いているのでしょうね。
今頃、家族や友人と会えたかなと時々思うことがあります。そんなこんなで靖国神社とご縁が出来てしまいました。

先日の雨降りの日のことでした。
仕事から帰って自宅近くまで来たときガラスに映る自分を何気なく見たとき、私の前に小さな犬が歩いてました。
「犬がいる。それもひとりで」と思い、自分の二歩ほど前を見ると何もいません。
あらっと思い、もう一度ガラスを見るとやはり犬は私の二歩ほど前をしっかりと前方を見つめ歩いて行くのです。
まるで露払いをしているように。(雨の日だけに)

犬?猫は飼っているのですが犬には思い当たることがありません。
というわけで小さい頃からの犬との関係についていろいろ思い出して見ました。

たしか、小学生の頃に野良犬を保護してしばらく面倒をみたことがあったことを思い出しました。
ピッコロという名をつけてご飯を食べさせていました。
とても頭の良い犬で尻尾でドアをノックするのです。
ドアを開けるとさっと入ってきて玄関のたたきに陣取ります。
けれども決してそれ以上には中には入らないのです。
ベランダに入ってきても家の中には入らない。
そして、玄関かベランダでご飯をもらいます。寝るのは玄関で、毛布をしいてあげました。

ある日、お利口なはずのこの犬が玄関で粗相をしてしまいました。
すると驚いたことに両前足で顔を隠して、申し訳なさそうにクーンクーンと泣いてわびていました。
家族一同、爆笑でした。
やがて父が里親を探してきて母が遠い里親さんの家に電車を乗り継いでお届けしました。
母は「本当にお利口な犬だった。じっとおとなしくしていて一度も鳴かなかった」と帰ってきてから話していました。
その後、ピッコロは別の名を与えられて広い里親さん宅で子供まで産んで(メスだったのね。気がつかなかった)長寿を全うしたそうです。里親さんから父に「本当に賢い犬でした。産んだ子供たちも皆賢くて本当に可愛い子達です。」とご報告と写真をいただきました。お墓も作ってもらいとても愛された一生でした。
本当に素直で人なつっこい子でしたが、人も動物も素直が一番だなと思いました。

それともう二匹、伯父の家の飼い犬でこちらは野良ではなく血統書付きです。
確かポメラニアンだったか白い洋犬でした。甘やかしすぎて年長さんは大きくなりすぎ、年下は厚かましくなりすぎました。
どちらもあまり賢くなかったような。やはり生存競争がないとぼーっと育ってしまうのでしょうか。
名前は下の方だけ覚えています。セイジです。小沢征爾ファンの伯母がつけました。

と、ここまで思い出したのですがどちらも該当なし、ピッコロは正真正銘の由緒正しき日本の雑種犬で白地に茶の斑点でした。
前を歩く犬は小型の洋犬で犬に詳しくないのでよく分かりませんが短毛ではありません。

まあ、どちらも該当なしでした。

台湾から帰ってきてから喘息が酷くなり、薬を大量にのみ副作用で足が腫れ上がっていたときでしたので歩くのが少々おぼつかなかったのです。あのキリッと歩く様子からして本当に露払いしていただいていたのだと思うことにしました。

家のドアの前まで来て、見えない犬に向かって「ありがとう」とお礼を言って中に入りました。

今頃、あの犬はどこにいるのでしょうね。こういう子達が神様のお使いになって、いつかいっぱしの神様になるのかもしれない。
日本の神様は人が祈ってこそ大きくなっていく存在なので、小さな神様も祈ることによっていつか大きな存在となり、自然や私達を守っていってくださるのでしょうね。

category: 神霊・心霊主義

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